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聴覚障害と自閉スペクトラム症の関係ー語用論の視点からー 【前編】
自閉スペクトラム症(Autism spectrum disorder, ASD)をもつ人のなかには、ことばは話せるが、それを用いた対人関係が苦手と感じている方がいます。また、自閉スペクトラム症児者にとって、皮肉を理解することが困難であることや、発音は同じで意味が違う単語(同音異義語)の理解が苦手であることなども知られています。このような対人関係に用いることばの運用のことを「語用論(pragmatics)」と呼びます。1980年代になり、対人関係に用いることばの運用、つまり語用論の視点から本格的に自閉スペクトラム症児者の語用論の研究が始まりました。今では高い言語力を持つにも関わらず、会話の理解に必要な文脈をうまく使うことができず、コミュニケーションに困難を抱える自閉スペクトラム症の方も少なくないことも知られるようになりました。(Happé 1997; Jolliffe & Baron-Cohen 1999,2000)
自閉スペクトラム症は、社会的相互作用の質的障害、コミュニケーションの質的障害、興味の限局と反復的行動により特徴づけられる発達障害として知られています。三つ組みのはじめの二つが相互に関連することがわかり、DSM-5において社会的・語用論的コミュニケーション障害とまとめられました。
語用論の障害は、聴覚障害者においても見られ、自閉スペクトラム症児と聴覚障害児における問題点を比較すると、言語発達と社会的相互作用の問題を整理することができます。そこで本稿では、聴覚障害者の社会性・語用論について、自閉スペクトラム症と比較しながら紹介していきます。この比較から、ASDの社会的・語用論的コミュニケーション障害の要因の推定や支援方略決定にも貢献できると考えています。
1.語用論ってなんだろう
定型発達者の会話では、ことばをただ論理的に並べて使っているわけではありません。
(1)A「明日、映画に行かない?」
B「あ〜明後日テストなの」
この会話では、AがBを明日映画に誘っていますが、Bは明日行けるかどうかについて答える代わりに、急に明後日の予定を伝えます。この会話ではAが断られていることが、多くの人には明白です。なぜでしょうか。
実際には、Bはことばに出して明日の予定について述べていません。多くの人がBの断りの意図が理解できるのは、「テストの前日には勉強をしなければならない」という共通の知識を持っているからです。Bは、「明後日テストだ」と伝えることで、Aが、「Bにとって明後日がテストならば、明日は家で勉強しなければならない。だから明日は行けない」と推論できることを見越して、「明日は行けない」ことを伝えているのです。
発言の意図を、字義通りの意味から、共有している知識を参照しながら解釈できるのが、定型発達者の語用論的な能力です。私たちの会話は、常に説明不足でことば足らずです。この会話が、以下のようだったらどうでしょうか。
(2)A「明日、映画に行かない?」
B’「いいえ、明日は行きません」
情報を過不足なく相手が間違えないように伝えなければならないと考えれば、(2)のB’の方が「正しく伝わる」回答です。(1)が「正しく伝わる」点で劣っているのは、AがBの意図通りに推論してくれないことがあるからです。Aは「明後日がテストなら、明後日は行けないが、明日は時間がある。つまり映画に行ける」と推論するかもしれません。そうであるにも関わらず、(2)のような会話より(1)のほうが自然なのは、私たちの言語コミュニケーションが、情報を正しく伝えるだけのシステムではないからです。
多少誤解される可能性があっても、(1)を使い、誤解があっても、(3)のように会話を進める中で正しい相互理解に持って行くことができます。
(3)A「明日、映画に行かない?」
B「あ〜明後日テストなの」
A「お、じゃあ明日はテストないんだ」
B「明後日のテストの勉強まだ終わってなくて……ごめん」
A「じゃあテスト終わってから」
Bはここでも「行けない」とはことばに出さず、理由だけ述べて、かつ謝罪しています。はっきり「明日は行けない」と言うと、相手の提案を断ることになり、明示的な断りは、相手の気持ちへの負担が大きい(メンツを傷つけられた)と考えられます。このように相手の心情への配慮をしながら、正しい相互理解へ至るというコミュニケーションを、私たちは日常的に行っています。
ことばを用いた日常の意思疎通がうまくいくための条件は、
a.相手の発話の意図を推論することができる
b. 相手の発話の意図を推論するための前提を共有している
c. 発話者と聞き手の間では、前提が共有され、お互いの発話の意図を相手が推論する
ということになります。このように、論理的には飛躍していても、相手との共有知識と意図推論能力のおかげで意思伝達が可能になるしくみを研究する分野が「語用論」です。
語用論の障害と心の理論
定型発達者の視点からみると、「語用論の障害」のあるASD者は、相手の発話の意図を推論する力が弱い(aの障害)と考えられています。この意図を推論する力の基礎となるもののひとつが「心の理論」と呼ばれるものです(Baron-Cohen, Leslie & Frith 1985)。
「心の理論」とは、他者と自分に「心」があり、その状態が異なると認識すること、それを基本に他者の心を類推し、それに基づく行動を予測、理解、説明を行う能力のことです。例えば、幼い子どもは、親が見ていないところで起きたことも、知っていて当然かのように話すことがあります。しかし、成長するに従って、自分と他者で異なる心の状態(経験)があることを整理できるようになります。心の理論の発達を測るのにサリーアン課題などの誤信念課題があります。定型発達児では4〜6歳で「自分の知っていることを他者が知らない」(誤信念)ということが理解できるようになります。
ASD児では、ことばが話せる子でも、この誤信念課題の正答率が定型発達児より低く、自分の知っていることと他者が知らないことの切り分けが難しいようです。ただし、言語能力が上がってくると、正答できるようになります。同じ言語能力であっても定型発達の子どものほうが、先に誤信念課題の正答を選べるようになるようです(Happé 1995)。つまり、この差分から、ASDはことばに依存して誤信念課題を解くが、定型発達児はことば以外の認知能力も動員して誤信念課題に正答していると考えられます。定型発達児は他者の行動の目的を予測し、それと外れるとびっくりするなどの行動が、1歳頃にはすでに観察されます。
定型発達児では、他者の心と自分の心を分けて考え、相手の状態を推測しながらことばを解釈するので、一足飛びの会話についてこれられるようになります。また、相手の状態を推測する心のはたらきを使って、言われたことばと意味を上手に対応させてことばを覚えていきます。しかし、ASD児では、このメカニズムがうまくはたらかないので、支援者は、一足飛びの会話をしないようにしています。遠回しの言い方を避け、意図が明らかな表現を選んで、ASD児の言語発達を促すことが一定の支持を受けています。もともと、定型発達児とASD児では、言語発達の道筋が異なっているのかもしれません。隠喩などの字義通りでない意味のことばの使い方は、文脈などによって理解することになりますが、語彙や文法のスコアを揃えても、なおASD児には難しいこともわかっています(Norbury 2005)。
…【中編】へ続く…
(国立障害者リハビリテーションセンター研究所 高次脳機能障害研究室 流動研究員 高嶋 由布子 takashima-yufuko@rehab.go.jp )